🪄 『死の秘宝』に隠された“もう一つの死後世界”

ふくろう通信

🪄 【導入】霧の中で立ち止まった──

「これは三途の川なの?それとも天国?」

ハリーが“死んだあと”に立っていた、真っ白なキングス・クロス駅。
あの場面を初めて見たとき、胸が締め付けられるような静けさを感じました。

そこには炎も、天使も、裁きもない。
ただ静かに白い霧が揺れて、遠くに列車の気配だけが漂っている。

その時、私は思ったのです。

「これは三途の川なのか?
それとも、キリスト教のいうリンボなのか?」

しかし、どちらを当てはめても、ハリーポッターの世界観にはしっくりこない。
行き止まりにぶつかったような、不思議な違和感。

この“違和感”こそが、
ハリーポッターにおける“死の正体”に近づく鍵になりました。

この記事では、私がそこに至るまで悩み続けた「思索の記録」を、
“海の魔女”としてやさしく語っていきます。
お茶でも片手に、ゆっくり読んでくださいね🫖✨


⚰️ 【第1章】「死の秘宝」は三途の川に似ている──そう思った理由

まず最初に行き着いたのは、日本の「死後の道」のイメージでした。
理由はとても単純で、3つの秘宝があまりにも“冥界の道具”っぽかったからです。


■ ニワトコの杖=境界の植物

日本の死生観では、彼岸と此岸のあいだには
“境界の樹木”がよく登場します。
柳の木、赤い彼岸花、しだれ桜……。

ニワトコ(Elder)はヨーロッパでも“境界の樹木”。
そこから作られた杖は、死の領域と密接につながっています。


■ 蘇りの石=河原の石

「河原の石」と聞くと、どこかで思い出しませんか?
そう、三途の川のそばで子供が石を積む「賽の河原」の伝承です。

石……境界……死者に触れる道具……。

蘇りの石はまさに、“生と死のあいだの石”に見えました。


■ 透明マント=死者の衣

透明マントは、生者の目から完全に姿を隠すもの。

それは死者が纏う「死装束」に似ています。
生の世界から姿が消えるという意味で、非常に死的なアイテム。


◆ この3つの組み合わせは……

どう考えても三途の川や冥界とセットで登場する道具たち。
だから私はこう結論しかけていました。

「死の秘宝は、日本の冥界構造に近いのでは?」

ただ──ここで大きな壁にぶつかります。

ハリーポッターの死は“穢れ”ではない。

日本の死生観とは根本が違っていたのです。


🌊 【第2章】それならリンボ(辺獄)?

でも、これもやっぱり違う……**

次に向かったのは、キリスト教の世界観。
特にダンテの『神曲』の“リンボ”という概念です。


■ 白いキングス・クロス駅は「リンボ」に似ている

リンボ=天国でも地獄でもない場所。

これは本当に似ています。
白い、静かな、広い、審判のない空間。


■ ダンブルドア=案内者ヴェルギリウス

リンボでは、詩人ヴェルギリウスが旅人を導きます。
ハリーの前に現れたダンブルドアも同じ。

優しく微笑み、
「戻るか、進むか、君が決めるんだよ」と告げる。

これもリンボ的。


◆ それなら「リンボ」で解決か?

……と思ったのですが、どうしても違うのです。

リンボには
“神の裁き”
という価値観が前提として存在します。

しかしハリーポッターには、
「誰かが裁く」という概念がそもそも存在しない。

罪や罰ではなく、“選択”。
ハリーの死後世界は、キリスト教とも決定的に違っていました。


🌫️ 【第3章】日本でもキリスト教でもない──

“どこにも属さない死の世界”**

ここで私は、ようやく気づきました。

「ああ、私は“形”に当てはめようとしていたんだ」

「三途の川」か
「リンボ」か
「天国」か
「冥界」か。

でも、ローリングはどの宗教の“死後世界”にも寄りかかっていないのです。


🍃 ハリーポッターの死は“自然の循環”

ローリングは宗教ではなく、自然信仰に近い死生観を描いています。

・霧
・光
・境界
・循環
・再生

それは人間の作った宗教よりも、
もっと古い、もっと曖昧で、もっと美しい。


🪄 そこで生まれた「妖精王マナナン」仮説

日本でも、キリスト教でも説明しきれない。
では、何がこの“境界性”を作っているのか?

行き着いたのが、
ケルト神話の妖精王マナナン・マク・リールでした。

彼は“海と霧”を操り、
“境界”を守る存在。

死者の案内役であり、
生者の守り手でもある。


そこで私は悟りました。

「ハリーポッターの死後世界は、宗教ではなく“神話”だったのだ」


🕯️ 【終章】思索の行き止まりは、物語の入口だった

三途の川でも、リンボでもない。
でもどちらにも少し似ている。

その“曖昧さ”こそが、
ハリーポッターの死生観の魅力でした。

白い霧の中で、
ハリーは誰にも裁かれず、ただ「選んだ」。
生きることを。


この世界は、宗教が作った “上下” ではなく、
ただ静かに“横”に広がっている。

生と死が向かい合うのではなく、
並んで歩いているような、そんな優しい世界。

そしてその奥には、
いつも霧の中で私たちを見つめる“誰か”がいる。

私は、それを妖精王と呼びました。
海と霧の王。
境界を守る者。

あなたは、何と呼びますか?

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